テレビで見かけるたびにインパクト抜群のドン小西。
奇抜なファッションと毒舌キャラばかりが目立つけれど、実はけっこう意外な学歴や経歴の持ち主だったりします。
最初は理系の大学に通っていたとか、バブル期にブランドで成功してたとか、思ってた以上に波乱万丈。
この記事では、ドン小西の学歴からファッション業界での活躍、テレビ進出までのプロフィールをじっくり紹介します。
ドン小西の学歴
ドン小西って、最初から服飾の道まっしぐらだったわけじゃないんです。
むしろ最初は理系だったというから驚きです。
三重大学附属の学校
生まれは三重県津市。
最初に通っていたのは、三重大学教育学部の附属小学校と中学校です。
地域でもわりと「頭のいい子が行くところ」と言われている学校で、きっと家族の期待も大きかったんじゃないかと思います。
このころから「目立ちたがり」な性格はあったそうで、地元の同級生の話を見かけたときも、なんとなく人と違うものを好む雰囲気があったとか。
母親が呉服屋をしていたこともあって、自然と布や色への興味は芽生えていたのかもしれません。
高校は東京・佼成学園
高校はなんと東京。
佼成学園という私立高校に進学しています。
なぜ地元を離れてまで東京の高校へ?というのがちょっと不思議だったのですが、おそらく「東京で何かをやりたい」という野心があったのかもしれません。
佼成学園は宗教系の学校ではあるけれど、比較的自由な雰囲気もあり、進学率も悪くない学校です。
そこで一気に環境が変わり、自分の世界も広がっていったんじゃないでしょうか。
大学は理系の明星大学
高校を卒業したあとは、明星大学の理工学部に進学しています。
実は第一志望は芝浦工業大学だったそうなのですが、そちらには落ちてしまい、明星を選んだという流れです。
でもやっぱり、どうしても服やデザインへの思いが断ち切れなかったんだと思います。
大学生活にはなじめず、中退という選択をすることになります。
家族からすれば、かなりの心配をされたはずですが、それでも彼は自分の気持ちを曲げなかった。
このあたりの経歴を見ていると、「好きなことを貫くって簡単じゃないんだな」としみじみ感じてしまいます。
文化服装学院
大学を辞めたあとは、ロンドンに短期留学。
その体験が転機になったようです。イギリスのカルチャーに触れるなかで、「やっぱり自分は服が好きだ」と確信したのかもしれません。
帰国後に選んだのが、服飾専門学校の名門・文化服装学院です。
ここで本格的にファッションを学び直します。
年齢も周囲より上だったはずですが、それでもゼロからスタートする決断をしたのは、やっぱりすごいと思います。
ドン小西のプロフィール
テレビで見る派手な姿だけじゃない、本当のドン小西の人生はずっと泥くさくて、でもどこか人間らしくて、だからこそ応援したくなるような内容でした。
FICCEの誕生とバブルの波に乗った日々
文化服装学院を卒業して最初に入社したのは「GRASS」というブランドです。
ここでデザインや企画を経験し、その後1981年に自分のブランド「FICCE(フィッチェ)」を立ち上げます。
このブランド名には意味はないそうですが、当時はDCブランド全盛期で、個性的なデザインが注目されていた時代でした。
とはいえ、最初から成功したわけではありません。
端切れをつなぎ合わせた奇抜なデザインや、パンク調の服がなかなか受け入れられず、苦戦も多かったそうです。
それでも諦めずに続けた結果、ビートたけしや谷村新司、さらにはエルトン・ジョンまでが彼の服を着てくれるようになり、一気にブレイク。ついには東武鉄道の制服デザインまで手がけるようになります。
いわゆる“時代の寵児”だったと思います。
バブル崩壊と15億円の負債
ですが、バブルの終焉とともにファッション業界も激変します。
大量生産・低価格をウリにするブランドが増え、個性派ブランドは次第に居場所を失っていきました。
FICCEも例外ではなく、店舗を閉め、最終的には15億円もの負債を抱えることに。
スタッフも離れていき、まさにどん底だったようです。
ここで完全に表舞台から消える人も多いなか、ドン小西は違いました。
自分のキャラを武器にして、テレビという新たなステージへ挑戦するようになります。
テレビで再ブレイク、毒舌キャラが話題に
再起のきっかけになったのが、「とくダネ!」などのテレビ番組。
ファッションチェックという形で、芸能人のコーディネートにバッサバッサと辛口コメントをする姿が話題になりました。
正直、最初はキャラが強すぎてびっくりしました。
でも、ただの毒舌じゃなくて、ちゃんと知識と経験に裏打ちされたコメントだから、妙に説得力があるんですよね。
自分の人生で味わった失敗やどん底を踏まえて、あえてユーモアを交えて発信しているような気がしました。
まとめ
今もなおドン小西は止まっていません。
年齢を感じさせないバイタリティと、何よりファッションへの情熱が衰えていないところがすごいです。
かつてのFICCEも復活させ、自身の名前を冠した「YOSHIYUKI KONISHI」や「d.k.f」などの新ブランドも展開。
Gacktとのコラボも行っており、若い世代との接点も大事にしているようです。
さらに、名古屋学芸大学の特別講師として教壇に立ったり、後進の育成にも力を入れています。
2013年には心臓弁膜症のため、大手術を受けています。
一時は命の危機もあったようですが、奇跡的な回復を遂げ、今も元気にメディア出演を続けています。
どれだけ失敗しても、年齢を重ねても、自分のスタイルを貫きながらしぶとく生きている。
その姿勢には、ちょっと憧れてしまいました。
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