街を歩いて「あ、この空間なんかいいな」って思う瞬間、その建物が実は隈研吾さんの設計だった…なんて経験、ありませんか。
初めて隈研吾さんの建築を見たとき、日常がちょっと特別に感じられたんです。
そんなわけで、今回は隈研吾さんの学歴を起点にして、経歴や建築へのこだわり、代表作までをゆるっと案内していきますね。
隈研吾の学歴は?
隈研吾さんが目指す南三陸の形がよくわからん…😇 pic.twitter.com/ubury9W70e
— 菊池駿一@まるもり (@kiku5445) June 14, 2025
建築界のトップを走り続ける隈研吾さん。
そのスタート地点は、1960年代の東京オリンピックにインスパイアされた“少年時代”でした。
大田区立田園調布小学校
隈研吾さんが幼少期を過ごしたのは、神奈川県横浜市大倉山。
小学生のころは、東京・大田区にある田園調布小学校に通っていました。
隈研吾さんが建築に興味を持ったきっかけは、1964年の東京オリンピック。
特に代々木体育館のようなダイナミックな建築を目にして、「自分もこんな建物を作ってみたい」と感じたそうです。
獣医になりたかった少年が、家の修繕が好きだったお父さんの影響もあって、建築の世界に一歩踏み出した瞬間だったんでしょうね。
栄光学園中学校・高等学校に進学
中学受験を経て、神奈川県鎌倉市にある栄光学園中学校・高等学校へ。
カトリック系の男子進学校で、自主性を重んじる教育が特徴です。
隈研吾さんの高校時代は身長183cmという長身を活かして、バスケットボール部でセンターとして活躍していました。
学力だけでなく、体力・協調性も磨かれた時期だったと思います。
この学校の自由な空気が、後の“自然と共生する建築思想”にもつながっていそうです。
東京大学理科一類から建築学科へ進学
隈研吾さん高校卒業後は、東京大学の理科一類に現役で合格。
その後、東京大学工学部建築学科に進みます。
日本最高峰の学び舎で、芦原義信、槇文彦、内田祥哉、原広司といった一流の建築家たちに師事しました。
同期には竹山聖さんや大江匡さんなど、のちに名を馳せる建築家たちも名を連ねています。
東京大学大学院
そのまま隈研吾さんは東大大学院工学系研究科建築意匠専攻に進学し、1979年に修士課程を修了。
在学中から「安藤忠雄に憧れる流れとは逆を行く」と決めていたそうで、あえてアトリエ系ではなく、大手の日本設計に就職します。
社会の中で建築の意味を問い直したかったのかもしれません。
若い頃から芯のある考えを持っていたのが、すごく伝わってきます。
コロンビア大学大学院に留学
隈研吾さんはさらに視野を広げるために、1985年から1986年にかけてアメリカのコロンビア大学建築・都市計画学科に客員研究員として留学。
ここで都市と建築の関係、文化とデザインの接点などを学び、グローバルな感覚を身につけていきました。
異国の地で過ごす1年間が、のちに世界各地で建築を手がける原動力になったことは言うまでもありません。
隈研吾の経歴
学歴を重ねた後、建築の現場に飛び込んでいくプロセスがとても自然に響きます。
大学院を出たあと「アトリエじゃなく社会に揉まれる」ために、日本設計や戸田建設設計部に就職したとのこと。
みんながアトリエ系に行く中で、違う道を選ぶあたりに隈研吾さんの芯の強さを感じます。
作り手としてではなく、設計のプロとしての視野がグッと広がる時期だったんじゃないかな。
さらに86年にはコロンビア大学で客員研究員。
ここで隈研吾さんは、海外の設計論や都市計画を学びつつ、その後の90年にかけて東京に拠点を置く自分の事務所を設立。
本拠地を欧州にまで広げ、2008年にパリにもオフィスを構えています。
教育者としての顔も印象深いです。
慶應義塾大学、早稲田大学などで教壇に立ち、2009年には東京大学の教授に就任。
その後、特別教授として今も研究と教育を続けているそうです。
自分も学びつつ人に教える立場に立ちたいなと憧れる気持ちになりました。
隈研吾の代表作
隈研吾さんか“和の大家”と呼ばれる所以がここにあります。
90年代中頃から素材としての木にこだわり始め、ゆすはら座などのプロジェクトを通して自然素材と都市との調和を探求していきます。
阪神淡路や東日本大震災を経て、コンクリート一辺倒ではない、木でできる“負ける建築”や“木の時代”を提唱したことで注目を集めました。
新国立競技場
やっぱり隈研吾さんの代表作といえば、東京オリンピックのメイン会場になった新国立競技場ですよね。
僕自身、はじめて中に入ったときのことを今でもはっきり覚えています。
屋根をぐるっと囲む木の梁が美しくて、まるで森の中にいるような安心感があったんです。
都会の真ん中にあるのに、自然を感じる空間になっている。
これはまさに、隈研吾さんが掲げる「負ける建築」や「木の時代」の集大成ともいえる作品だと思います。
浅草文化観光センター
浅草駅のすぐ目の前にあるこの建物。
正直、最初は「なんだこの変わった形は?」と思ったんですけど、近づいて見ると、木とガラスが絶妙に組み合わされていて、街の風景に自然と溶け込んでいるんです。
建物の中に入ると、窓から浅草寺やスカイツリーが見えて、「ああ、東京ってこういう“間”を楽しむ街なんだな」と実感させられました。
観光案内所という枠を超えて、建築そのものが地域の魅力を語っているような作品です。
V&Aダンディ(スコットランド)
スコットランドに建てられたこの博物館は、外観のダイナミックさがまず目を引きます。
でも、それだけじゃなくて、日本的な“自然との調和”を感じさせるところが面白いんですよね。
現地の自然素材を活かしつつ、しっかりと“隈研吾らしさ”がにじみ出ている。
海に面したこの建物は、まるで水面から浮かび上がってきたような雰囲気があって、遠く離れた地でも「和の心」を感じられるのがすごいです。
FRAC(マルセイユ)
フランス・マルセイユにある現代美術の施設「FRAC」も隈研吾さんの海外代表作のひとつ。
ガラスのファサードが特徴的で、建物自体が街のリズムに溶け込むようにデザインされているんです。
このあたりの感覚って、まさに隈研吾さんが大切にしている“粒感”や“軽やかさ”を体現してるなと感じました。
単に派手さを追わず、その土地の空気感にそっと馴染む。
海外でもしっかり評価されている理由が分かります。
建築を越えたデザイン活動
隈研吾さんって、実は建築だけじゃなくて、家具やスニーカー、展示会の空間デザインなどにも関わってるんです。
たとえば、東京駅で開催された「くまのもの」展では、素材の“粒感”をどう活かすかっていう隈研吾さんの思想が、建築以外のアイテムにも表れていました。
台湾の台北でも個展を開いていて、その活動範囲の広さには驚かされます。
建築家という枠を超えて、ライフスタイル全体をデザインしている感覚なんですよね。
まとめ
東京大学、コロンビア大学への留学、大手設計事務所での経験。
それらがすべて、隈研吾さんの“和”を軸とした建築思想の礎になっています。
教育者として、そして世界で活躍するデザイナーとして現在も現役感満載で活動している姿には、ときめきを隠せません。
街を歩くとき、建築物をただの背景ではなく、ちょっとした発見として意識してしまう。
そんな視点が日々の生活を彩ってくれるはずです。
ぜひ新国立競技場や浅草、海外でも訪れる機会があれば、隈研吾さんの“木と空気の設計”を体感してみてくださいね。
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