東京都世田谷区から都議選に挑戦する望月まさのりさん。
選挙ポスターや街頭演説で見かけたことのある方も多いかもしれません。
だけど実際、どんな人生を歩んできたのかはあまり知られていない気がします。
ここでは、彼がどんな環境で育ち、どんな学校に通い、なぜ政治の世界を目指すようになったのか。
出身大学から職歴、転機までを、少し感情を交えながら丁寧に追ってみたいと思います。
望月まさのりの出身大学はどこ?学歴紹介
「青山学院大学の経営学部出身なんだって」と聞いたとき、ちょっと意外でした。
てっきり法学部かと思っていたんですが、実は経営学を学びながら法律家を目指していたそうです。
しかも、全額奨学金で通っていたとのこと。
これはすごいなと思いました。学生支援機構からの奨学金だけでなく、成績優秀者向けの給付型奨学金も大学から受けていたといいます。
努力の積み重ねがカタチになった証拠ですよね。
その頃、将来の夢は司法試験に合格して法律家になることだったそうです。
日中は授業、夜は自習室や図書館での勉強、そして週末は地元の子どもたちにサッカーを教える。
正直、そんな大学生活ってできるの?と思ったけれど、目標を持つ人のパワーってすごいんだなと感じます。
ちなみに、サッカー指導をしていたクラブは、彼自身が小学生のときに所属していたところ。
まさに原点回帰。子どもたちの笑顔が日々の癒しだったそうで、何だかその話だけで人柄が伝わってくる気がしました。
八幡山小学校
世田谷区内にある八幡山小学校に通っていました。
この小学校で人生を変えるような出会いがあったそうです。
それは「サッカー」。
当時の先生が「これからの時代、サッカーが子どもたちに必要だ」と考え、サッカークラブを立ち上げたのだとか。
先生はラグビー部出身でサッカー経験はなかったそうですが、教育に熱心で、生徒からの信頼も厚い存在だったようです。
その先生に誘われて、3年生のときにサッカーを始めたことが、望月氏の成長にとって大きなターニングポイントになったと語られています。
緑丘中学校
中学は、世田谷区立緑丘中学校に進学しました。
学校の部活動に加えて、クラブチーム「FCトリプレッタ」にも所属していたそうです。
中学生のうちから時間の使い方を工夫しながら、本気でスポーツと向き合う生活を送っていたようですね。
このクラブチームでは、東京都ベスト16という実績を残し、なかなかの成績だったことが伺えます。
クラブ活動を引退した後は、緑丘中のサッカー部に合流し、夏の世田谷区民大会では準優勝を経験。
結果にこだわりながらも、地元への愛着が深まっていく時期だったのではないでしょうか。
都立駒場高校
高校は、サッカーの強豪として知られる東京都立駒場高校に進学します。
「うちは裕福じゃないから…」という家庭の事情から、私立を受けずに都立一本で挑戦したそうです。
これはかなりの覚悟が必要だったと思います。
サッカーにかける思いは強く、最初は部活動に専念していましたが、高校2年のときに家計が苦しくなり、アルバイトで生活を支えるためにやむなくサッカーを辞めたといいます。
勉強と仕事を両立しながらも、仲間と過ごした文化祭での舞台経験が一番の思い出になっているそうで、青春の光と影の両方を見た高校時代だったことが感じ取れます。
青山学院大学での努力と奨学金生活
大学は青山学院大学の経営学部 経営学科に進学。
ここでは全額奨学金を受けて通っていたそうです。
今も日本学生支援機構への返済を続けているとのことからも、経済的に楽な状況ではなかったことがわかります。
それでも、日々の努力が実を結び、4年生のときには学業優秀者として給付型奨学金を大学から受けたそうです。
夢は法律家になること。そのため司法試験の勉強に励みながら、小学生時代にお世話になったサッカークラブや地元のスクールで子どもたちにサッカーを教える活動も続けていたそうです。
学びと社会貢献を並行して続けていた姿は、まさに実直な人柄を表しているように思えます。
国家公務員から政治の世界へ
大学卒業後、経済的理由から司法試験の道を断念し、国家公務員の検察事務官として法務省や東京地検に勤務。
ここで多くの事件と向き合うことになります。
なかには、執行猶予を受けた被疑者が数ヶ月後にまた逮捕される、そんな事例もあったそうです。
「人を罰するだけで本当に社会は良くなるのか?」と疑問を感じ始めたのは、この頃だったといいます。
まさに「正義とは何か」を突き詰めた結果の葛藤。筆者も法律職を志したことがあったので、この悩みはとても共感できました。
さらに法務本省に出向し、「働き方改革」や「マイナンバーカード」、「LGBT理解増進法」などの国政課題に携わる中で、現場と制度のギャップ、官僚組織の限界、政治の現実に直面。
思い描いていた理想と現実の落差に戸惑う日々が続いたといいます。
そんななか、母から幼い頃にかけられた「目の前で困っている人を助けられる大人になりなさい」という言葉が、ずっと心に残っていたそうです。
その言葉に背中を押されるように、国家公務員としてのキャリアを手放し、政治の道へと舵を切ったんですね。
「保身ではなく、日本国民のために働きたい」という決意は、ある意味で国家への反逆にも近い覚悟だったのかもしれません。
望月まさのりプロフィール
望月まさのりさんは、東京都世田谷区出身の政治活動家です。
1990年5月6日生まれの現在35歳で、現在も上北沢に暮らしています。
衆議院議員秘書として活動する一方で、かつては国家公務員として法務省や東京地方検察庁に勤務した経歴があります。
また、参議院議員秘書を務めた経験もあり、多方面で政治と行政の現場を経験してきました。
望月まさのりさんは、母子家庭で育ち、幼少期は上北沢児童館や希望ヶ丘公園で遊びながら、地元の仲間たちと豊かな時間を過ごしてきました。
お宮参りをした稲荷森稲荷神社には特別な思い入れがあり、地域との深い縁を大切にしています。
学生時代から地元のサッカースクールでコーチを務めたり、塾講師や家庭教師としても活動していたことから、教育や地域の子どもたちとの関わりを重視してきた人物です。
望月まさのりさんの好きな食べ物はカレー、オムライス、そしてハンバーグ。どこか親しみを感じさせる好みが、等身大の人柄を映し出しています。
趣味や嗜好としては、漫画や小説を読むことを挙げており、『名探偵コナン』や『DEATH NOTE』、『鬼滅の刃』などの人気作品のファンです。
また、東野圭吾の「容疑者Xの献身」などミステリー小説を好み、『日本よ、歴とした独立国になれ!』のような社会派書籍にも関心を持っています。
政治を志した原点には、「目の前に困っている人を助けられる大人になりたい」という子どもの頃の想いがあります。
国家公務員として事件処理に向き合う中で、人を罰するだけでは根本的な解決にならないのではないかと葛藤し、やがて「事件が起こらない社会」を目指すために政治の道へ進むことを決意しました。
現在は参政党に所属し、東京都議会議員選挙(2025年6月22日・世田谷区選挙区)への出馬を予定しています。
活動拠点は京王線・小田急線沿線を中心に、地域に密着した政治を目指して日々街頭演説やブログ更新などを精力的に行っています。
まとめ
望月まさのりさんは、2024年、衆議院選挙(東京第6区と比例ブロック)に出馬。
そして2025年、都議選への挑戦を表明。
いわゆる“ステップアップ型”ではなく、現場主義と覚悟の積み重ねがにじみ出るルートです。
ブログや街頭演説では「自分の想いが霞ヶ関では通らなかった」と率直に語っていて、それが逆に信頼感を生んでいます。
肩書きやキャリアを振りかざすのではなく、「目の前の人のためにできること」を積み重ねたい、そんな思いが見えてきます。
世田谷という、穏やかで豊かな街に根を張りながら、次の世代のために行動し続ける。
その姿は、どこか一昔前の“町の兄ちゃん”みたいでもあり、だからこそ地元で支持を集めている理由もなんとなくわかる気がします。
何かを変えようとするとき、「自分に何ができるのか?」という問いがついてまわりますよね。
望月まさのりさんの歩みを知って、たとえ大きな力でなくても、目の前の誰かのために立ち上がる勇気って大事だなと感じさせられました。
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