華やかなビーズ刺繍の世界で注目を集める田川啓二さん。
テレビや雑誌でその名を見かけるたびに、「どんな人なんだろう?」と気になっている方も多いのではないでしょうか。
この記事では、田川啓二さんの出身大学や学歴、そしてこれまで歩んできたキャリアについて、プロフィールとともにご紹介します。
ちょっと意外な一面も見えてくるかもしれませんよ。
田川啓二の出身大学どこ?
🌸毎日キレイ🌸
田川啓二:ビーズ刺しゅうの第一人で徹子さんの友人 衣装の相談から管理まで依頼 NY留学時代の思い出の振り袖も見つかる 「徹子の部屋」で✨#田川啓二 #徹子の部屋 https://t.co/ktVMKseSSS— MANTANWEB/毎日キレイ (@mantanweb) May 13, 2025
実は、田川啓二さんはファッション系の大学出身ではありません。
東京都港区で育ち、大学は明治大学の法学部法律学科に進学しています。
いわゆる「服飾の道一直線」ではなかったんですね。
私も最初に知ったとき、「えっ、法律の勉強してたの?」と少し驚いてしまいました。
今でこそ“ビーズ刺繍のカリスマ”のような存在になっていますが、もともとは普通の大学生として法律を学んでいたというのがなんだか親近感を覚えます。
でも、この「別の世界を知っている」という背景が、作品やビジネス展開にも深みを与えている気がします。
デザインだけでなく、経営や人とのやり取りもスマートにこなせる理由が、そこにあるのかもしれません。
田川啓二の経歴
法律を学んでいた田川啓二さんが、なぜファッションの世界に進んだのか。
そのヒントは、母親の趣味だったフランス刺繍にあります。
幼いころから自然と刺繍に触れる環境にいたことが、後の人生に大きく影響していきました。
明治大学を卒業したあと、まずはレナウンルックというアパレル企業に就職しています。
実はこの頃、夜間のファッション専門学校「エスモードジャポン」にも通っていたんです。
昼は会社で働き、夜はデザインの勉強。かなりストイックだったんじゃないでしょうか。
私自身も社会人になってから勉強を始めた経験があるので、その大変さはよく分かります。
やる気がないと絶対に続かないんですよね。
でも、好きなことに向かって努力を重ねていた田川啓二さんの姿を想像すると、「夢中ってすごい」とあらためて感じさせられます。
インドとの出会いが運命を変えた
レナウンを退職後、田川啓二さんはフランスのクチュールブランドに関わる仕事に就きます。
ここで重要な出会いがありました。それが「インドのビーズ職人たち」です。
フランスの一流ブランドでも、ビーズ刺繍はインドの職人に依頼されていたという現実を知り、衝撃を受けたそうです。
この経験が、のちに自身のブランド「チリア」を立ち上げるきっかけにつながっていきます。
1989年、「チリア」を創業。ブランド名の由来は、ヒンディー語で「小鳥」を意味する言葉だそうです。
インドのムンバイやデリーの職人たちとタッグを組みながら、精密で立体的なビーズ刺繍を展開し始めました。
私はこの話を知ったとき、「国境を超えてつながる美意識って本当にすごいな」と感じました。
言葉が通じなくても、感性で理解しあう。
そのやり取りの中で生まれる作品には、きっと普通のプロセスでは生まれない熱量がこもっているはずです。
教室や個展もスタート、活動の幅がどんどん広がる
刺繍の技術を広めたいという思いから、1996年には東京・五反田に「チリアエンブロイダリースタジオ」という刺繍教室を開講しました。
これまでの経験や技術を惜しみなく伝える姿勢が、たくさんのファンや生徒たちの心をつかんだのでしょう。
2000年には初の個展「田川啓二さんの世界 オートクチュールビーズ刺繍展」を開催。
さらに2005年にはジュエリーブランド、2009年にはプレタポルテブランドも手がけるなど、活動の幅を広げていきます。
こうした積み重ねが、現在の圧倒的な存在感につながっているんだなあと実感しました。
「ただのデザイナー」ではなく、教育者、プロデューサー、そしてビジネスの目利き。
どれも高いレベルでこなしているあたり、本当にスゴいです。
ハワイや美術館
2013年には、ハワイ・ワイキキにカフェ&ショップをオープン。
観光地に自らのブランドを根付かせるという、なかなか大胆な挑戦です。
でも、現地でビーズ刺繍に触れられる空間があるって素敵ですよね。
旅行の合間に立ち寄って、作品を見て、お茶して、世界観にひたれる場所って貴重です。
そして2023年、ついに『田川啓二さん美術館』が栃木県那須町に誕生しました。
ここでは自身のビーズ刺繍作品はもちろん、アンティークコレクションや学芸員としての知識を活かした解説なども楽しめます。
私も一度訪れてみたいと思っている場所のひとつです。
作品をただ飾るだけでなく、ストーリーや体験として届けようとするその姿勢。
芸術って、そういう空間でこそ心に残るものだと思います。
著名人とのつながりと衣装プロデュース
芸能界にも多くのファンがいる田川啓二さん。
特に、黒柳徹子さんとのつながりは有名です。
「徹子の部屋」出演をきっかけに親交が深まり、衣装をオーダーメイドで手がけるだけでなく、個人事務所のマネジメント業務までサポートしています。
他にも、後藤真希さんや宮沢りえさん、藤原紀香さん、和田アキ子さんといった大物芸能人の衣装も多数手がけています。
それぞれの個性を引き出すデザインは、本当に見事としか言いようがありません。
ファッションは自己表現のひとつですが、舞台に立つ人たちにとっては“戦うための鎧”でもある。
そんな重要な役割を担う衣装を、信頼して任せられる存在というのはそう多くはないはずです。
田川啓二のプロフィール
田川啓二さんは、1959年に東京都港区で生まれました。
明治大学法学部法律学科を卒業後、婦人アパレルメーカーに就職し、在職中にエスモードジャポン夜間コースに通われました。
その後、フランスのクチュールブランドの仕事に就き、ビーズ刺繍をインドの職人に下請け依頼していることを知り、1989年に株式会社チリアを設立されました。
社名の「チリア」はヒンディー語で「すずめなどの小鳥」を意味します。
また、田川さんは2人兄弟の次男で、兄の田川雅一さんは株式会社ベネディクトを経営するグラフィックデザイナーでした。
趣味はガーデニング、料理、着物やブリキ製玩具のコレクションなどで、バラ育種家・河本純子さんから新作のバラを贈られ、「クチュールローズ・チリア」と命名されています。
ビーズ刺繍は熟練した職人の多いインドの工房に発注しており、当初は言葉がほとんど通じなかったため、ボディ・ランゲージを加えて製作意図を伝えていたそうです。
アトリエには20,000種類もの材料を常備し、豊富な材料と技法を複雑かつ高密度に組み合わせることで、立体的で繊細な陰影、色彩、光彩、グラデーションを表現されています。
ビーズ刺繍の作品が動いたときに生じる反射光の変化を「ビーズ刺繍の一番の魅力」とし、モデルが試着して、あらゆる角度からチェックされているとのことです。
また、ゴッホやモネらの著名な絵画のビーズ刺繍による模写や、『不思議の国のアリス』の世界を再現した作品なども手がけられています。
私設美術館では学芸員の資格を活かした解説も行われており、その知識と経験を活かして多方面で活躍されています。
まとめ
ここまで田川啓二さんの学歴や経歴、プロフィールについて紹介してきましたが、ひとつ強く感じたのは「夢はいつからでも追える」ということ。
法律を学びながらも、刺繍という芸術の世界に飛び込んだ田川啓二さんの姿は、挑戦の大切さを教えてくれます。
自分の好きを信じて、努力を続けていく。
その積み重ねが、やがて誰かを魅了する力になるのだと気づかせてくれる人生です。
私たちも何かを始めるとき、完璧な準備が整っていなくても大丈夫かもしれません。
大事なのは、「やってみよう」と思う一歩。その先に、思いがけない出会いやチャンスが待っているかもしれませんね。
田川啓二さんの物語が、少しでも誰かの背中を押せたらうれしいです。
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