2025年5月、世界中のカトリック信者たちを驚かせるニュースが飛び込みました。ロバート・フランシス・プレヴォスト枢機卿が新しいローマ教皇に選ばれ、「レオ14世」として即位したのです。
アメリカ・シカゴ生まれの異色の教皇
カトリックの歴史において、アメリカ出身者が教皇になるのはまさに前代未聞の出来事でした。
1955年9月14日、アメリカ合衆国イリノイ州シカゴで誕生したロバート・プレヴォストは、どこにでもいる普通の家庭に育ちました。宗教に囲まれた環境というより、むしろ知的好奇心と探究心が旺盛な子どもだったようです。学生時代は数学を専攻し、ヴィラノヴァ大学で学士号を取得。その後、神の導きを感じて聖職の道へ進むことになります。
正直、数学から聖職者というルートに進む人って珍しい印象があります。でも、数字の論理性と信仰の深遠な世界って、意外と親和性があるのかもしれません。そう思うと不思議と納得できます。
ペルーでの宣教活動と修道会での指導
その後の人生は、ラテンアメリカとの深い縁に彩られていきます。
1985年から1986年にかけて、南米ペルーのチュルカナスで宣教師として活動。その地での生活は決して快適ではなかったそうですが、地域に根ざした関わりを大切にし、現地の人々と心を通わせながら福音を伝え続けました。この時期にペルー市民権を取得し、人生の第二の拠点を築いていきます。
個人的に思うのですが、異国での宣教って並大抵の覚悟じゃできないですよね。しかも1980年代のペルーといえば、社会情勢もかなり不安定な時期。そんな中で人々の信仰心に寄り添う姿勢には、ただただ頭が下がります。
1999年にはシカゴのアウグスチノ修道会の管区長となり、2001年から2013年までは世界中の会員をまとめる総長として指導的な役割を担いました。この長い期間、組織全体の方向性を定める責任を担いながらも、決して上から押し付けるのではなく、耳を傾ける姿勢を大事にしていたそうです。
司教としての歩み、そして教皇へ
総長を退任した後も、教会内での役割はさらに広がっていきます。
2014年、ペルー・チクラヨ教区の使徒管理者に任命され、同年12月には司教に叙階されました。あくまで現地に溶け込みながらも、牧会の基本を忘れずに、ひとりひとりと向き合うことを大切にしていたようです。教区民からの信頼は厚く、地域社会にも多大な貢献をしてきました。
2023年には、教皇フランシスコの信任を受け、バチカンの要職である司教省の長官に就任。さらにラテンアメリカ教皇委員会の会長として、広域な視野で教会運営に関わるようになります。そして同年9月30日、枢機卿に任命され、世界の注目を集める存在となりました。
この時点で「次の教皇候補」として名前が挙がっていたとはいえ、実際に選ばれるとは思っていなかった人も多かったようです。わたしもその一人です。けれど、その温厚な人柄と聖職者としての実績が、最終的な決定に大きく影響したのではないでしょうか。
教皇レオ14世としてのビジョンと課題
2025年5月8日、ロバート・プレヴォストは新教皇として「レオ14世」を名乗り、全世界に向けてその名を告げました。
この「レオ」という教皇名は、社会正義を訴えたレオ13世への敬意を込めて選ばれたとも言われています。つまり、教会が果たすべき社会的責任や、時代の課題にどう向き合っていくかを強く意識しているのでしょう。特に気候変動、格差問題、女性の役割拡大など、現代的なテーマに対して柔軟な姿勢を見せています。
また、平和を訴えるメッセージがとても印象的です。戦争や紛争が続く今、宗教のリーダーが発する「和解の言葉」には重みがありますね。これからどんな未来を描いていくのか、そのビジョンに期待する声は高まるばかりです。
一方で、教会内のスキャンダルや構造的課題にどう対応していくのかという難題も残されています。過去の問題に正面から向き合い、透明性を持って改革していく姿勢が問われる場面も増えてくることでしょう。ここは一筋縄ではいかないかもしれませんが、新教皇ならではの誠実な姿勢に期待したいところです。
教皇としてのこれからと個人的な希望
教皇レオ14世がこれから向かう道は、決して平坦ではありません。
宗教離れが進む中で、どうやって人々の心に語りかけ、希望を届けていくのか。カトリックという信仰の枠を超えて、多くの人々に影響を与える存在としての重責を背負うことになります。それでも、あの温かみのある笑顔と誠実さを武器にして、信頼を積み重ねていくのではないでしょうか。
わたしは個人的に、教皇という立場にある人物にも「等身大の優しさ」や「素直な感情」を感じたいと思っています。レオ14世には、まさにそうした一面が感じられます。だからこそ、単なる組織の代表ではなく、「人として信じたくなる存在」として、多くの人の心を動かすのかもしれません。
この新しい時代の教皇が、どんな未来を築いていくのか。静かに、けれど確かな期待を抱きながら見守っていきたいです。
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