舘野泉(たての いずみ)さんは、日本を代表する世界的なピアニストであり、特にその情熱的な演奏と、どんな困難にも立ち向かう姿勢で多くの人々を感動させてきました。
その演奏スタイルは、聴く人々に強い印象を与え、どんな楽曲でもその表現力を余すところなく引き出します。
しかし、舘野泉さんの人生には、音楽以外にもたくさんのドラマがあります。
家族や自宅、そして妻の死因にまつわるエピソードを通して、どのようにして今日の地位に至ったのか、その背後にある物語を見ていきましょう。
舘野泉のプロフィール
#小澤征爾 を送る ひとつの時代、静かに過ぎ去った ピアニスト舘野泉https://t.co/RwqdrFqvNi
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舘野泉さんは1936年11月10日、東京で生まれました。
音楽一家に育ち、早くからその才能を発揮。
特に、ピアノの演奏においてその素晴らしさを認められ、東京藝術大学を首席で卒業しました。
その後、1964年にはフィンランドに移住し、シベリウス・アカデミーで教授としても活動してきました。
音楽活動は、単に演奏だけにとどまらず、教育や音楽文化の発展にも貢献しています。
その後、2002年には脳溢血により右半身が不随となり、音楽活動が一時期中断を余儀なくされました。
しかし、左手だけで演奏を再開し、再び多くの人々の前で演奏をすることを決意。
この復帰劇は、音楽業界のみならず、全世界の人々に勇気を与えました。
右手を失ってもなお、音楽を諦めず、限界を超えて演奏を続ける姿は、まさに生き様そのものであり、音楽の可能性を切り開いた瞬間でした。
舘野泉の息子
ヤンネ舘野さん(vn)から「悲しきワルツ」等、シベリウスのヴァイオリン作品を収めたCD「Janne Plays Sibelius」(2016、17年@フィリアホール、サルビアホールで収録)到着!ライナーノーツは、本誌でもお馴染みの舘野泉さんがご執筆っ!ホッとするような温かいアルバム、是非聴いてみて下さい! pic.twitter.com/WGX1sHLxTI
— 「音楽の友」編集長 (@tomo20180518) March 30, 2018
舘野泉さんの息子、ヤンネ舘野さんは、フィンランド出身のヴァイオリニストとして広く知られています。
父・舘野泉さんと同様に音楽一家に生まれ育ち、音楽の道を歩んできました。
ヤンネ舘野のプロフィール
ヤンネ舘野さんは、フィンランドのヘルシンキで生まれ育ちました。
幼少期からヴァイオリンを学び、フィンランド国立音楽大学で学びました。
その後、世界各国で演奏活動を行い、数々の音楽祭やコンサートに出演しています。
ヤンネ舘野さんは、父・舘野泉さんとの共演も多く、親子でのデュオ・リサイタルを開催しています。
例えば、2019年には仙台クラシックフェスティバル「せんくら」で父子のデュオ・リサイタルが行われました。
また、2022年には舘野泉さんのバースデー・コンサートで新作「鬼の学校」を東京で初演し、父子の息の合った演奏が話題となりました。
ヤンネ舘野さんは、ソリストとしての演奏活動に加え、室内楽やオーケストラのコンサートマスターとしても活躍しています。
演奏は、情熱的で表現力豊かだと高く評価されています。
また、数々の音楽賞を受賞しており、その実力が証明されています。
舘野泉の自宅
舘野泉さんは、東京都目黒区自由が丘にある自宅で生活しています。
この家は、彼が生まれ育った場所でもあり、家族との思い出が詰まった大切な場所です。
舘野さんの自宅は、木造の和風建築で、築90年を超える歴史があります。
玄関から板張りの廊下を進み、ガラス障子を引き開けると、和室二間をぶち抜いた広い部屋にグランドピアノが置かれています。
天井や長押、欄間など、和室の懐かしい雰囲気が残っています。
また、鴨居に並ぶ古い本や、世界各地で購入したユニークな置物が飾られ、舘野さんの音楽家としての歴史と趣味が感じられます。
自宅では、舘野さん自身が買い物や料理をこなしています。
キッチンには使い込まれた道具が並び、新鮮な素材を使った料理が日常となっています。
夜10時になるとピアノを弾き終え、晩酌をしながら夕食を作り、ニュースを見ながら食事をするのが1日の終わりのほっとする時間だと語っています。
この自宅は、舘野さんが幼少期を過ごした場所でもあります。
戦争中の疎開先から戻った際、家族と共に過ごした思い出が多く、ピアノの練習や読書など、音楽と共に育った環境が音楽家としての基盤となっています。
舘野泉の妻
舘野泉さんの妻、マリア・ホロパイネンさんはフィンランド出身のソプラノ歌手でした。
音楽家として非常に高い評価を受けており、舘野泉さんとは長い年月を共に過ごしました。
フィンランドの音楽界で活躍しており、舘野泉さんの音楽活動を支え続けた重要な人物です。
二人は結婚後、フィンランドでの生活を基盤にしていました。
音楽を通じてお互いに深い絆を築き、共に多くの時間を過ごしました。
特に、舘野泉さんが手足を失った後の困難な時期において、精神的な支えとなり、その愛と支援が彼を再び立ち上がらせる力となったことは間違いありません。
妻の死因
しかし、2023年3月に悲劇が訪れます。
マリア・ホロパイネンさんが老衰によりこの世を去りました。
舘野泉さんのそばを離れたことは、大きな喪失でした。
音楽活動を再開してからの苦しい日々を共に乗り越えてきたマリアさんの死は、舘野泉さんにとって計り知れないほどの痛みを伴う出来事でした。
妻を失った舘野泉さんは、しばらくその悲しみを抱えながら過ごしていたものの、その後、米寿記念演奏会を開く決意を固めます。
2023年5月28日に行われたその演奏会では、マリアさんが生前に愛した楽曲を中心に演奏が行われ、妻への深い追悼の意を表しました。
音楽という形でマリアさんを偲び、再び演奏を通じて妻との思い出を共有した舘野泉さんの姿勢に、多くの人々が感動を覚えました。
舘野泉の現在
11月4日(月)、日本&フィンランドで長年活躍されているピアニスト舘野泉氏によるバースデー・コンサートが東京文化会館小ホールにて開催。詳細はこちら:https://t.co/WDBBuYEmQv pic.twitter.com/zUsghIMfJ8
— 駐日フィンランド大使館 (@FinEmbTokyo) October 31, 2024
2024年には、舘野さんがインド、ブータン、ネパールに行って演奏をしたというニュースがありました。
特に、ブータンでは国に2台しかないグランドピアノで演奏するという特別な機会に恵まれました。
標高1,400メートルのカトマンズでの演奏や、世界的に見ても貴重な経験をしているのです。
その情熱は、年齢を感じさせない力強さで、まさに音楽を通じて世界をつなげている証です。
舘野さんは、2025年3月に東京の紀尾井ホールで、矢口里菜子さんとのデュオ・リサイタルを予定しています。
また、3月8日には横浜市港北区民文化センターでの公演も予定されています。
これからも彼の音楽は、世界中の人々に感動を与え続けることでしょう。
まとめ
舘野泉さんの人生は、音楽と家族、そして愛と支えの物語であると言えるでしょう。
困難を乗り越えながら音楽活動を続け、家族との絆を大切にした彼の姿勢は、私たちに大切なものを教えてくれます。
音楽の力、家族の力、そして愛の力が、彼を支えているのです。
これからも舘野泉さんの音楽とその人生から、多くの人々が感動を受け続けることでしょう。
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