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仲代達也の学歴や経歴!プロフィールも紹介

仲代達也の学歴や経歴!プロフィールも紹介 有名人の学歴
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映画の歴史に名を刻む俳優って、日本にも数多くいるけど、その中でも「圧倒的な存在感」という言葉が似合う人と言えば、仲代達矢さんじゃないでしょうか。

私が初めて仲代達矢さんを知ったのは、学生時代に観た黒澤明監督の『影武者』。

正直、当時は映画の内容よりも「この主役の人、めちゃくちゃ目力あるな…」って、それだけが強烈に残ったんです。

その後も気になって他の作品を観るうちに、「この人、どんな人生を歩んできたんだろう」とどんどん興味がわいてきて。

調べてみたら、想像以上に波瀾万丈。

今回はそんな仲代達矢さんの学歴や経歴、そしてプロフィールまでたっぷり紹介します。

 

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仲代達也の学歴や経歴!

仲代達矢さんは1932年、東京都目黒区に生まれました。

東京生まれと聞くと、なんとなく裕福なイメージを持ってしまうけど、実際は全然違ったみたいです。

仲代達矢さんの父親は、茨城県の農家の出身で、上京後は京成電鉄のバス運転手をしていました。

ところが、その父親が仲代がまだ幼い頃に他界。

たった6歳だったそうです。

家計を支えるため、母親は女手ひとつで必死に働きながら、3人の子どもたちを育てたんだとか。

家計が苦しくなると、東京から千葉・津田沼へ引っ越したり、さらに東京都世田谷区瀬田へと移ったり、何度も転校を繰り返したそうです。

子どもにとって転校ってすごく不安だし、なじむのにも時間がかかる。それに加えて戦争の時代。

まさに心が休まる暇もないような日々だったんじゃないかなと思います。

特に印象的だったのは、母親が青山の弁護士事務所に住み込みで働いていた時期の話。

仲代は母と離れて疎開先の仙川で暮らしていたそうです。

私も母と離れて暮らしたことがあるので、その寂しさはすごく共感できます。

 

学歴:工業学校から夜間高校へ

15歳のとき、仲代達矢さんは北豊島工業学校に入学しました。

でも、その後すぐに空襲が激しくなって中退。

これは当時の多くの若者に共通することかもしれませんが、「学校に通いたくても通えない」という状況が、仲代にもあったんです。

その後は、東京都立重機工業学校に編入し、無事卒業。

さらに、生活のために働きながら、夜間の千歳高等学校定時制にも通っていたそうです。

ここで注目したいのが、「働きながら学ぶ」という姿勢。

当時の仲代は、競馬場で切符売りの仕事をしたり、パチンコ屋で働いたり、さまざまなアルバイトを経験していたそうです。

昼は働き、夜は学校、合間に演劇の夢を抱き続ける。

簡単なことじゃありません。

なんだか、今の時代に「夢を諦めそうになったときは、仲代達矢さんの若い頃を思い出せ」って言いたくなるくらいの生き様です。

 

俳優の道を志すきっかけと、俳優座養成所へ

仲代達矢さんが本格的に俳優を志したのは、俳優座の舞台を観たのがきっかけでした。

千田是也の演技に衝撃を受け、「自分もこの世界に入りたい」と思ったそうです。

そこで仲代達矢さんは、1952年に俳優座養成所の第4期生として入所します。

ちなみにこの受験費用、競馬場での仕事で知り合った人が出してくれたとか。

偶然の出会いが、人生の転機につながるって、よくある話だけど、仲代達矢さんの人生そのものがまさにそんな感じ。

同期には宇津井健や佐藤慶といった後の名優たちもいたそうですが、仲代はその中でも「異質な存在感」があったらしいです。

何よりもストイックだったんでしょうね。

ただ、俳優座の稽古は厳しかったようで、黒澤明監督の『七人の侍』では、セリフなしの浪人役だったにもかかわらず、歩き方ひとつで何度もNGを出されたんだとか。

指導というより「罵倒」だったとも言われています。

それでもめげずにくらいついていく。

普通なら心が折れそうなところですが、それを乗り越えてこそ「名優」と呼ばれるようになったんでしょうね。

 

映画界での快進撃:黒澤映画から世界へ

1955年には俳優座の劇団員として正式に活動を開始。

そして、翌年には映画『火の鳥』でデビュー。

これが、名女優・月丘夢路の相手役というからすごい話です。

完全に無名だったにも関わらず、堂々たる演技で話題になったとか。

その後も『黒い河』や『裸足の青春』といった映画で、悪役から熱血漢まで幅広い役を演じ分け、業界内でも「これはただ者じゃないぞ」という空気が流れ始めます。

そして、極めつけが『影武者』や『乱』といった黒澤明作品。

特に『影武者』では、本来主演予定だった勝新太郎が降板したことで、仲代が急遽代役を務めることに。

プレッシャーも相当だったと思いますが、その存在感で「代役」どころか「適役」だったと称賛されました。

世界三大映画祭――カンヌ、ヴェネツィア、ベルリンのどこでも上映された作品に関わっており、日本国内だけでなく、海外からの評価も非常に高い俳優です。

 

無名塾と後進育成

仲代達矢さんのすごいところは、演技だけじゃないんですよね。

1977年には、妻で女優の宮崎恭子と一緒に「無名塾」を立ち上げています。

ここでは、俳優志望の若者たちを対象に、厳しくも愛のある指導をしているそうです。

この無名塾、今では舞台界・映像界で活躍する俳優を何人も輩出しています。

私の知り合いにも無名塾出身の役者さんがいるんですが、「仲代先生は厳しいけど、あの人の目を見て芝居したら、嘘はつけない」と言っていました。

こういう“本物”の指導者がいるからこそ、日本の演劇や映画がちゃんと受け継がれていくんだなと思います。

 

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仲代達矢のプロフィール

ここで、仲代達矢さんの基本的なプロフィールをまとめておきます。

  • 名前:仲代 達矢(なかだい たつや)
  • 本名:仲代 元昭(なかだい もとあき)
  • 生年月日:1932年12月13日
  • 年齢:92歳(2025年現在)
  • 出身地:東京都目黒区
  • 身長:180cm以上(当時としては高身長)
  • 所属:無名塾(主宰)
  • 主な代表作:『影武者』『乱』『切腹』『人斬り』『日本のいちばん長い日』など

ちなみに、結婚した妻・宮崎恭子さんとは、公私ともに支え合うパートナーだったようです。

2000年に宮崎さんが亡くなったあとも、宮崎恭子さんが遺した無名塾を大切に守り続けています。

 

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まとめ

仲代達矢さんの学歴や経歴を掘り下げていくと、ただの「すごい俳優」という言葉では収まらない深みが見えてきます。

幼少期の苦労、戦争と貧困の中での青春、夜間高校に通いながら働く日々、そして俳優としての苦悩と努力――どれもが、いまの仲代達矢さんという人物の土台になっているんですよね。

私もこの記事を書きながら、なんだか背筋が伸びる思いでした。

「自分はまだまだ努力が足りないな」とか、「もっと地に足つけて生きなきゃ」とか、考えさせられることがたくさんありました。

俳優としてだけでなく、人として尊敬され続ける理由。

この記事が、少しでもその答えに近づけるきっかけになれば嬉しいです。

そして、もしまだ仲代達矢さんの作品を観たことがないなら、ぜひ一度観てみてください。

時代を超えて伝わる“本物の演技”、きっと心に残るはずです。

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