最近ドラマや映画でよく見かける大谷亮平さん。
あの端正な顔立ちと落ち着いた雰囲気、そして自然な演技に惹かれる方も多いのではないでしょうか。
かくいう私もそのひとり。
初めて名前を覚えたのは朝ドラでの出演がきっかけだったのですが、気づけば地上波で見ない日はないほどの活躍ぶりです。
そんな大谷亮平さん、実は日本での俳優活動を本格的に始める前に韓国で人気を博していたという、いわゆる“逆輸入俳優”として知られています。
でも、どうして韓国で?
どんなきっかけがあったの?
と不思議に思ったので、今回は大谷亮平さんの学歴や経歴、プロフィールを改めて詳しく掘り下げてみました。
大谷亮平のプロフィール
[映画ニュース] 大谷亮平が金を巡る抗争に身を投じる!「ゼニガタ」本予告&新場面カット公開 https://t.co/LCFiuQ1FtQ pic.twitter.com/uEyZJ4TFZW
— 映画.com (@eigacom) April 12, 2018
テレビや雑誌では見かけても、意外とプライベートな情報は知られていないかもしれません。
ここでは基本的なプロフィールから紐解いていきます。
大阪府出身で、1980年10月1日生まれ。
現在は40代前半ということになりますが、落ち着きのある印象とスマートな立ち居振る舞いから、年齢を感じさせません。
背が高くてスタイルも抜群。なんと身長は182cmもあるのだとか。テレビで見るとスラッとしているのは感じていましたが、実際の数値を知るとやっぱり納得です。
趣味はバレーボール、旅、料理など。中でもバレーボールは学生時代から本格的に取り組んでいたようで、後ほど紹介する学歴にもそのエピソードが出てきます。
料理が得意というのも少し意外でしたが、SNSなどを見ているとその腕前が垣間見えるシーンもあって、親近感がわきました。
ちなみに芸能活動を始めた当初は、モデルとして活動していたようです。
その後CM出演をきっかけに韓国の芸能界に進出し、俳優としてのキャリアを積み上げていくことになります。
韓国語が堪能なことでも知られていて、バラエティ番組などでもその語学力を披露していることがあります。
大谷亮平の出身高校どこ?学歴紹介
大谷亮平さん、実は学生時代はスポーツに情熱を注いでいた体育会系男子。
ここでは、小学校から大学までの学歴と、その時々のエピソードを時系列でご紹介します。
出身小学校:吹田市立西山田小学校または山田第三小学校(推定)
大谷亮平さんの出身小学校は正式には公表されていませんが、出身中学校の校区から「吹田市立西山田小学校」もしくは「山田第三小学校」のどちらかが有力とされています。
2歳年上の姉と6歳年下の妹がいる3人きょうだいの真ん中として育ち、家族仲もとても良かったとのこと。
見た目の印象からハーフと誤解されることもありますが、ご両親ともに日本人です。
子どものころは恥ずかしがり屋で、学芸会では裏方に回るようなタイプだったそうです。
俳優として活躍する今の姿からは想像しづらいですね。
しかし運動神経は抜群で、最初は野球に取り組み、その後小学4年生でバレーボールを始めます。
以降はバレーに熱中し、小学生時代はコートで汗を流す毎日を過ごしていました。
出身中学校:吹田市立西山田中学校
中学は地元の吹田市立西山田中学校に進学。
ここでもバレーボール部に所属し、才能を発揮します。
3年生のときには大阪府大会で優勝する快挙を成し遂げ、北大阪の選抜チームにも選出されるなど、その実力は県レベルでも高く評価されていました。
ポジションはエースアタッカー。
中学時代は「自分が一番うまい」と思っていたほど、バレーボールへの自信と情熱にあふれていたそうです。
現在は穏やかで落ち着いた印象の大谷さんですが、当時は短気で感情の起伏が激しかったという一面も。
そういった感情もすべてスポーツにぶつけ、鍛えられていったのかもしれませんね。
出身高校:大阪府立夕陽丘高等学校(スポーツ推薦)
高校は、バレーボールの実力を評価されて大阪府立夕陽丘高等学校にスポーツ推薦で進学します。
この学校は芸術系や国際系の学科もあり、文武両道を掲げる進学校として知られています。
高校でももちろんバレーボール部に所属し、全国大会を目指して日々厳しい練習に取り組んでいたとのこと。
周囲には自分よりも上手な選手が多く、「初めて自分よりうまい人たちに囲まれた」と語っています。
ここで大谷さんは、一度“自分の限界”を知ることになり、成長の大きなきっかけになったといいます。
また、バレー漬けの日々の中で、徐々に「将来は別の道に進むかもしれない」という思いも芽生えはじめていたようです。
出身大学:大阪商業大学 経済学部
高校卒業後は、大阪商業大学の経済学部に進学します。
この大学は関西圏では比較的規模の大きい私立大学で、実学重視のカリキュラムが特徴。
大谷さんはこの大学でもバレーボール部に所属し、大学リーグなどでも活躍していました。
とはいえ、この頃から少しずつ「バレーボール以外の世界にも目を向けたい」という思いが強まっていきます。
大学卒業後は一般企業に就職することなく、芸能界へ足を踏み入れることを決意。
最初は日本ではなく韓国でモデル活動を始め、その後CMやドラマなどで注目を集め、2016年には日本のドラマ『ラヴソング』で本格的に日本での俳優活動をスタートさせました。
大谷亮平の経歴
大谷亮平さんの学歴を振り返ると、一貫してバレーボール中心の学生時代だったことがわかります。
小学校〜大学まで、10年以上にわたり競技に打ち込み、スポーツマンとしての精神力や粘り強さを培ってきました。
特に、高校で壁にぶつかりながらも乗り越えていった経験は、俳優としての挑戦にもつながっているのではないでしょうか。
また、内向的だった小学生時代から、演技の世界で堂々と表現する今の姿への変化は、まさに努力と成長の賜物。長年にわたり自分と向き合い続けた姿勢が、演技にも深みを与えているように感じられます。
韓国での活躍と日本への“逆輸入”までの道のり
ここが大谷亮平さんの最大の特徴ともいえる部分です。
日本人俳優が韓国で活躍してから日本に戻ってくるという経歴は、あまり多くはありません。
では、どんな流れで韓国へ行き、どのようにブレイクしていったのでしょうか。
きっかけは、韓国のCMに出演したことだと言われています。
現地での反響が大きく、そのまま芸能事務所にスカウトされ、韓国で本格的な活動を始めることに。
韓国ドラマへの出演が続き、知名度が一気に上昇しました。『ソウルメイト』『朝鮮ガンマン』『朝鮮名探偵』などの作品に出演しており、役柄も幅広くこなしています。
韓国での活動が軌道に乗る中、日本でもその実績が注目されるようになり、2016年に『逃げるは恥だが役に立つ』で日本のドラマに本格出演。
視聴者の間で「この人、誰?」「かっこいい」と話題になり、一気に人気が爆発しました。
私もこのドラマで大谷さんの存在を知ったのですが、あのクールな役どころが本当にハマっていて、まさに印象に残る登場でした。
日本での活動が本格化してからも、韓国での経験が演技に活かされているように思います。
セリフ回しや表情の繊細な演じ分け、あとはちょっとした間の取り方なんかが独特で、なんともクセになるんです。
どこか異国感のあるたたずまいが、作品にスパイスを加えてくれる存在になっていると感じます。
振り返ってみると、大谷さんのキャリアは一見遠回りのようで、実はすべてが今につながる伏線だったのかもしれません。
韓国という異文化の中で努力を重ねてきた経験が、今の演技力や人間力に深みを与えているように思えてなりません。
まとめ
大谷亮平さんのことを調べていくうちに、改めて“努力の人”だと感じました。
日本での活動以前から、異国でキャリアを積んでいたという事実は、並大抵の覚悟ではできないことだと思います。
語学力、適応力、そして演技のスキル。どれも簡単には身につかないものばかりです。
そして今、日本のドラマや映画で大谷さんの姿を見かけるたびに、その背景にある物語を思い出します。
ただカッコいい俳優、という枠には収まりきらない魅力があるんですよね。
これからもさまざまな作品に出演し、役柄ごとに違った顔を見せてくれることを楽しみにしています。
この記事をきっかけに、大谷亮平さんのことをもっと知りたい、作品をチェックしてみたいと思ってもらえたら嬉しいです。
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