元バレーボール選手で、いまはタレントとしても活躍している狩野舞子さん。
2025年にはWEST.の桐山照史さんとの結婚も話題になりましたよね。
この記事では、狩野舞子さんの学歴を中心に、どんな学生時代を送ってきたのか、実際のエピソードも交えてお伝えします。
狩野舞子の学歴
【過去写真からの一枚】
2016.11.05 Vプレミア・西尾大会
西尾市総合体育館 NEC×PFU
PFUブルーキャッツ 狩野舞子選手 pic.twitter.com/Qy8rLp8xVB— 女バレDB@Bot (@WomanVolleyDB) September 20, 2024
狩野舞子さんの出身小学校は、東京都三鷹市にある「三鷹市立第四小学校」。
三鷹といえば緑も多く、住みやすい地域としても知られていますよね。
意外だったのが、最初に夢中になっていたのはサッカーだったということ。
なんだか親近感がわきました。
運動神経がいい子って、いろんなスポーツを楽しめるんですよね。
だけど、スポーツクラブでバレーに出会ったのが小学4年生のとき。
この頃すでに身長が174cmあったそうで、バレーのコートではひときわ目立っていたでしょうね。
中学時代
中学は「八王子実践中学校」へ進学。
バレーボールの名門としても有名な学校です。
偏差値は42とされていますが、学力よりもバレー部の実力に注目が集まる学校といえます。
この時期のエピソードがまたすごいんです。
中学3年生のとき、全国都道府県対抗大会で東京選抜に選ばれた上に、日本代表候補にも選出。
中田久美さん以来、24年ぶりの快挙だったとか。
でも、彼女にとっては純粋にうれしい出来事ではなかったようで、「実力が伴ってないのに名前だけが先に広まるのが怖かった」と語っていました。
自分の居場所を自問自答していた時期だったのかもしれません。
私も中学のとき、周囲の期待に追いつけなくてプレッシャーで潰れそうになった経験があるので、ものすごく共感しました。
高校は八王子実践高校
高校も中学と同じく「八王子実践高校」に進学。
こちらもバレーボールの名門で、偏差値は43とやや易しめですが、競技に打ち込む環境が整っていたようです。
お母さんやお姉さんもこの高校の出身だったとのこと。
まさにバレーボール一家ですね。
私が進路を決めるときも、家族の影響ってすごく大きかったので、なんだか納得です。
高校1年生からすでにエースとして活躍し、高校2年でキャプテンを任されたというのだから驚き。
春高バレーのポスターにも起用されていて、そのときの心境を「直前の練習で怒られて微妙な顔で撮った」と語っているのも、なんともリアルです。
でも、順風満帆とはいかなかったようで、成長痛や筋肉のバランスの問題で腰痛に悩まされていたそうです。
アスリートとしての身体の変化って、自分の意思ではどうにもできない部分もあるから切ないですね。
大学には進学せず
高校卒業後は大学進学を選ばず、「久光製薬スプリングス」に入団。
大学ではなく、すぐにプロの道を選んだというのも彼女らしい決断です。
私も高校卒業後の進路選びに迷って、専門学校か就職かでギリギリまで悩んだことがありました。
だから、10代で人生の大きな選択をする勇気、尊敬します。
プロ入り後もケガに苦しむことが多かったようで、アキレス腱断裂などが続いた時期もありました。
でも、そんな中でも2009年には再び日本代表に選ばれて、見事に復活しています。
2012年にはロンドンオリンピックで銅メダルを獲得。
このときはセッターとしての出場だったので、役割も変わっていたわけです。
自分を変化させながら、勝負の世界で生き抜くって本当にすごいことですよね。
狩野舞子のプロフィール
- 名前:狩野 舞子(かのう まいこ)
- 生年月日:1988年7月15日
- 出身地:東京都三鷹市
- 身長:185cm
- ポジション:ウィングスパイカー → セッター
- 所属チーム:久光製薬スプリングス、パヴィーア(イタリア)、ベシクタシュ(トルコ)、PFUブルーキャッツ
- オリンピック:2012年ロンドン大会 銅メダリスト
- 配偶者:桐山照史(WEST.)
狩野舞子(かのう まいこ)さんは、1988年7月15日生まれ、東京都三鷹市出身の元バレーボール選手で、現在はタレント・解説者としても活動しています。
2025年1月には、WEST.の桐山照史さんとの結婚も大きな話題となりました。
狩野さんは、父が中央大学から実業団で活躍したバレーボール選手、母が八王子実践高校から東京女子体育大学でプレーした選手、姉の狩野美雪さんも元全日本選手というバレーボール一家に生まれました。
三鷹市立第四小学校4年生のときに大沢スポーツクラブでバレーボールを始め、当時すでに身長は174cmもありました。
中学はバレーの強豪校、八王子実践中学校に進学し、全国都道府県対抗大会では東京代表として活躍。
中学3年でアテネ五輪日本代表候補18名の中に選ばれるという快挙を成し遂げました。
高校は引き続き八王子実践高校に進学。
1年生でエース、2年生でキャプテンを務め、春高バレーなどで頭角を現しました。
ですがこの頃から腰痛に悩まされるようになり、常にケガと向き合う日々でもありました。
2007年、姉・美雪さんが在籍していた久光製薬スプリングスに入団。
翌年には右アキレス腱を断裂、さらに2010年には左アキレス腱も断裂するなど、度重なるケガに見舞われながらも、全日本代表として再び復活。
2012年にはロンドンオリンピックに出場し、銅メダル獲得に貢献しました。
大会通算得点はわずか3点と出場機会こそ限られましたが、その存在感と努力は大きな注目を集めました。
現役引退
狩野さんは2010年にイタリア・セリエA1のクラブ「パヴィーア」、2011年にはトルコ・ベシクタシュへ移籍し、海外リーグでもプレー。
2012年に久光製薬へ復帰後はセッターとして再スタートを切りました。
2015年に一度引退を発表しますが、2016年にはV・プレミアリーグ昇格のPFUブルーキャッツに入団し現役復帰。
2018年5月、黒鷲旗の金蘭会戦を最後に本格的に現役を引退しました。
引退後の活動と結婚
引退後はタレント・スポーツキャスター・YouTuberとして活動を広げています。特にYouTube「マイコチャンネル」では、等身大の姿やバレーボールの知識を活かしたコンテンツが人気です。
また、姉・狩野美雪さんが監督を務めるデフバレーボール女子日本代表の練習パートナーとしても協力するなど、バレーボール界への貢献も続けています。
2025年1月3日、WEST.の桐山照史さんとの結婚が発表され、多くのファンから祝福を受けました。
アスリートとアイドルという異色の組み合わせながら、お互いを支え合う関係性が伺えます。
まとめ
こうして見ていくと、狩野舞子さんの学歴は確かに特別なものかもしれません。
でも、そこにあるのは学力や偏差値だけじゃなくて、「どれだけ自分と向き合ってきたか」という生き様のほうが、はるかに濃い気がします。
私もこの記事を書きながら、自分の過去や進路についてふと思い返してしまいました。
あのとき、自分にどんな決断ができていたのか。
今でもあの時の選択がよかったのか、時々自問しています。
だからこそ、狩野舞子さんのように自分の意志で進み、苦しみながらも立ち向かった姿に励まされる人は多いはずです。
これからもそのままの笑顔で、もっといろんな場所で活躍してほしいなと思います。
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