現代アートに興味がある方なら、松山智一という名前を一度は耳にしたことがあるのではないでしょうか。
ニューヨークを拠点に、世界中の美術館やギャラリーで作品を発表し続けている注目の美術家です。
「海外の人?」と思うかもしれませんが、実は岐阜県出身の日本人。
この記事では、そんな松山智一さんの出身大学、学歴、そしてこれまでの経歴やプロフィールについてじっくり掘り下げてみます。
国内外で活躍するアーティストの学歴がどんなものか気になるという方も多いはず。
芸術の道に進みたい人にとっても、進路の参考になるかもしれません。
松山智一の学歴
松山智一:米NY拠点の現代美術家 元スケボー少年 1970年代にNYで単身留学した徹子さんの話に興味津々 「徹子の部屋」出演#松山智一 #徹子の部屋 https://t.co/7inwzLmyxV
— MANTANWEB/毎日キレイ (@mantanweb) May 19, 2025
松山智一さんの学歴は、国内外の芸術とビジネスを横断するような、幅広い分野での学びが特徴です。
暁星国際中学校・高等学校アングロアメリカンコース
千葉県木更津市にある暁星国際中学・高校のアングロアメリカンコースで学びました。
国際教育に力を入れているこのコースでは、英語を中心としたカリキュラムが展開されており、ネイティブ講師による授業も充実しています。
松山さんはこの環境で、早い段階からグローバルな視野と語学力を培っていたと考えられます。
桑沢デザイン研究所夜間部ビジュアルデザイン科
松山智一さんは、高校卒業後は、東京都渋谷区にある桑沢デザイン研究所の夜間部ビジュアルデザイン科に進学。
実務を意識した授業が多く、グラフィックやビジュアル表現について基礎から応用まで幅広く学べることで知られています。
夜間部での学びは、働きながら通う学生も多く、時間を自ら管理しながら学ぶ必要があります。
松山さんも、すでに自主的に活動を始めていた可能性があります。
上智大学経済学部経営学科
芸術だけでなく、経営に関する知識も重要であると考えた松山さんは、上智大学経済学部経営学科に進学します。
マーケティングやマネジメント、経済理論など、幅広いビジネス知識を習得し、アーティストとしての将来を見据えた戦略的な学びを重ねました。
このビジネス的視点が、後のキャリアで非常に大きな意味を持つことになります。
プラット・インスティテュート大学院コミュニケーションズ・デザイン科(首席卒業)
2002年にはニューヨークに渡り、世界的に有名なアートスクール「プラット・インスティテュート」の大学院に進学。
コミュニケーションズ・デザイン科にて、視覚表現を通じたコミュニケーションの手法を深く学びました。
この分野で首席卒業という結果を出し、国際的にも高い評価を得るようになります。
学術的な知見と実技の両方に秀でた学生であったことが、この結果からも見てとれます。
松山智一の経歴
アートとビジネスの両立を学んできた松山智一さんは、卒業後に世界的なアーティストとしての歩みを加速させていきます。
ニューヨークを拠点にアート活動を開始
大学院卒業後は、ニューヨークに拠点を置き、現代アートシーンの最前線で活動をスタート。
最初は小規模なギャラリーからの展示参加でしたが、作品の独自性と完成度が注目され、徐々に評価を高めていきます。
世界各国での個展・展示
アメリカ、日本、香港、台湾、UAEなど、さまざまな国と地域で個展やグループ展を開催。
2021年にはアメリカの著名なギャラリー「Kavi Gupta」と契約。
続いて2023年にはヨーロッパの名門「Almine Rech Gallery」とも契約し、ロンドンでの個展も実現しています。
公共空間での大型アート
松山さんの代表作には、ニューヨークのブルックリンで手がけた「ハウストン・バウリー・ウォール」の壁画プロジェクトがあります。
現地のアーティストしか選ばれないこのプロジェクトに、日本人として参加したこと自体が非常に希少であり、
実力と国際的な評価を示しています。
このプロジェクトは日本のTV番組『情熱大陸』でも紹介され、大きな反響を呼びました。
教育活動への貢献
2012年から2017年まで、ニューヨークのスクール・オブ・ビジュアル・アーツ(SVA)で非常勤講師として教鞭をとりました。
若手アーティストの育成にも力を入れており、教育者としての顔も持ち合わせています。
企業・美術館の収蔵実績
松山さんの作品は以下のような著名な美術館や企業に収蔵されています。
- ロサンゼルス・カウンティ美術館(LACMA)
- サンフランシスコ・アジア美術館
- ペレズ美術館マイアミ
- ナイキ、マイクロソフトなどのグローバル企業
- JR東日本、ユナイテッドアローズなどの国内大手企業
このように、松山智一さんの経歴は、アートと社会、ビジネスを見事に融合させた唯一無二のキャリアといえるでしょう。
松山智一のプロフィール
では、松山智一さんがどんな人物なのか、そのプロフィールについても触れてみましょう。
1976年4月30日生まれ、出身地は岐阜県高山市。
現在はニューヨーク・ブルックリンにスタジオを構えています。
作品には、東洋と西洋、古代と現代、具象と抽象といった対極的な要素が共存しています。
この不思議なバランス感覚は、文化の狭間で育ってきた背景から生まれているのかもしれません。
日本の江戸時代や明治時代の美術、古代ギリシャやローマの彫刻、さらにはフランス・ルネッサンスの絵画から戦後のコンテンポラリーアートまで、多彩な影響を受けているそうです。
自分が展覧会に足を運んだとき、一つの作品のなかに「懐かしさ」と「新しさ」が混在していることに驚かされました。
たとえば、浮世絵のようなモチーフがポップアート的な手法で描かれていたり、ストリートカルチャーを感じさせる装飾のなかに日本的な繊細さが息づいていたり。
どこかで見たような感覚があるのに、まったく新しいという不思議な感覚です。
また、教育者としても活躍しており、2012年から2017年まではニューヨークの名門美術大学スクール・オブ・ビジュアル・アーツ(SVA)で講師を務めていました。
2013年にはハーバード大学からの招待で講演と個展を行うなど、教育とアートの両面で精力的に活動しています。
美術館や企業コレクションにも作品が数多く所蔵されており、LACMAやマイアミ・ペレズ美術館、龍美術館、ナイキ・ジャパン、JR東日本、ドバイ王室など、名だたる機関に名を連ねています。
まとめ
ここまで松山智一さんの学歴、経歴、プロフィールについて紹介してきました。
いろんな意味で型にはまらない人生を歩んでいる印象があります。
日本とアメリカという異なる文化圏で育ち、経済学とデザインを同時に学び、そしてアートの最前線・ニューヨークで活動を続けている。
まさにグローバルでマルチな視点を持つアーティストと言えるでしょう。
「アートって難しそう」と思っている人でも、松山さんの作品にはどこか親しみやすさがあると思います。
自分も最初は難解な現代美術には尻込みしていたんですが、松山さんの絵を見て「これ、面白い!」と素直に感じたのを覚えています。
これから現代アートの世界に触れてみたい人、美術の道に進もうか迷っている人にとっても、松山智一さんの歩みは大きなヒントになるかもしれません。
これからの活躍にもますます注目していきたいところですね。
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