関ジャニ∞として長年活躍し、現在はSUPER EIGHTのメンバーとしても多方面で存在感を放っている丸山隆平さん。
関西出身のタレントらしい明るさとユーモアで、テレビで見かけるたびにほっこりした気持ちになるという人も多いのではないでしょうか。
今回はそんな丸山隆平さんの出身高校を中心に、学歴や学生時代のエピソードまでたっぷりご紹介していきます。
丸山隆平の出身高校はどこ?学歴紹介
金子差入店
まず差入屋という職業を知らなかったので知識をもらった
自らも収監経験を持つ金子、刑務所まわりは一癖も二癖もある人間模様
丸山隆平の演技が素晴らしく、過去を背負いつつ親として差入屋としての苦悩が滲み出ていた
鉢植えを壊されても淡々と片付ける日常にこの職業の覚悟が投影される pic.twitter.com/xgSLNCYufX— kinpika (@kinpika_d) May 24, 2025
丸山隆平さんが通っていた高校は、京都にある「関西文化芸術学院」という学校です。
現在は「関西文化芸術高等学校」と名前が変わっていますが、当時は芸術系の専修学校という位置づけだったようです。
芸術や美術に特化した学校ということもあって、制服もちょっと変わっていたとか。
芸術系の学校って、雰囲気が自由で、良い意味で“ちょっと変わった人”が多かったと話していたのを思い出しました。
きっと丸山さんも、そんな空気の中でのびのびと自分らしさを育てていったのかもしれませんね。
丸山さんは当初、高校進学を考えていなかったそうです。
中学1年生の時にジャニーズ事務所に入所し、芸能の道に進むつもりだったからでしょう。
でも、親から「ちゃんと学校にも行っておいたほうがいい」と勧められて、この関西文化芸術学院に進学することに。芸能活動との両立を前提とした学校ということもあって、柔軟な対応が魅力だったようです。
芸能コースのある学校って、やっぱりタレント志望の人にとっては強い味方なんですね。
高校時代は試練の連続だった
進学後の丸山隆平さんを待っていたのは、決して順風満帆な芸能活動ではありませんでした。
実は高校生の間はほとんど仕事がなく、舞台にもドラマにもなかなか出演できなかったそうです。
その様子を見かねた父親から「20歳までに芽が出なかったら、芸能界を辞めなさい」と言われたこともあったとか。
家族にそう言われるって、相当なプレッシャーだったと思います。
それでも諦めずに続けたことが、のちの大きな転機につながっていきました。
高校3年生のときに関西ジャニーズJr.のユニット「V.WEST」のメンバーに選ばれ、そこから少しずつ活動の幅が広がっていったのです。
この「V.WEST」が後に「関ジャニ∞」へとつながっていくことを思うと、やっぱり踏ん張りどきってあるんだな…としみじみ感じました。
中学時代
丸山隆平さんがジャニーズ事務所に入ったのは、中学1年生の時。地元・京都市内にある「西院中学校」に通っていた頃のことです。
この時期って、自分が何者かもよくわからなくて、将来のことも漠然としているものですよね。
そんな中でオーディションを受ける決断をしたこと、そしてそれを応援した家族の存在があったこともまた印象的です。
オーディションを受けたものの、しばらく音沙汰がなかった丸山さんは「やっぱり落ちたか…」と思い込んでいたそうです。
そこで再び履歴書を送ったところ、再オーディションの場でジャニー喜多川さんから「YOU、受かってるのに何で来てるの?」と声をかけられたという有名なエピソードがあります。
個人的にこの話がすごく好きで、うまくいかないと思っても、実はすでに道が開かれていたっていうのがまさにドラマみたい。
思い込みで諦めないこと、大事ですね。
その後丸山隆平さんは舞台出演を果たし、同時期に活動していたメンバーの中には、生田斗真さんや松本潤さんといった、今をときめく俳優たちの名前も並んでいます。
こうして見ると、中学生の頃から一流の環境に身を置いていたんですね。
小学校時代
丸山隆平さんが通っていた小学校は、「京都市立西院小学校」です。
公立の共学校で、京都市内でも歴史ある学校のひとつなんだとか。
小学生の頃の丸山さんは、とにかく明るくて元気。
自分のことを「れっくん」と呼んでいたそうで、なんとも愛らしいエピソードです。
丸山隆平プロフィール
- 生年月日 1983年11月26日(41歳)
- 出身地 京都府京都市
- 血液型・身長 A型・175 cm
- 所属グループ SUPER EIGHT(旧関ジャニ∞)
- 所属事務所 STARTO ENTERTAINMENT
- 入所時期 1996年(11歳)
- 主な仕事 ベーシスト、俳優、司会、舞台
1996年、当時11歳でジャニーズ事務所に入所。
関西ジャニーズJr.として活動をスタートさせます。
その後、2002年に関西発のグループ「関ジャニ∞(エイト)」のメンバーに選ばれ、2004年には『浪花いろは節』でCDデビューを果たしました。
関ジャニ∞ではベースを担当し、ライブでは演奏の要としてグループを支える存在。
近年はグループ名を「SUPER EIGHT」に変更し、新たなスタートを切っています。
俳優・バラエティでの活躍
丸山さんは俳優としても実力を発揮しています。
これまでにドラマ『自転車少年記』や『フリーター、家を買う。』、映画『ワイルド7』『泥棒役者』などに出演。
舞台では『ギルバート・グレイプ』など話題作で主演を務め、繊細な演技で観客を魅了しました。
また、情報番組『サタデープラス』では長年MCを担当し、穏やかでユーモアのある語り口が多くの視聴者に支持されてきました。
人柄とエピソード
グループ内でもムードメーカーとして知られており、明るく自然体な性格で、メンバーやスタッフからの信頼も厚い存在です。
トーク力にも定評があり、バラエティ番組では独自のテンポと笑いを生み出しています。
ベースを始めたのは高校時代。当初は周囲がギター経験者ばかりだったことから、自分にできることを考えベースを選択。
身長や体格を活かし、徐々に演奏の魅力にのめり込んでいったそうです。
今ではライブでのプレイもファンの注目ポイントのひとつになっています。
家族との関係
家庭環境にも少し特徴がありました。
実父はボディビルダーで、何度も大会に出場して賞を受けたことのある本格派。
再婚相手との間には義弟もでき、6人家族という少し複雑ながらも温かい家庭で育ったようです。
特に妹のことをとても可愛がっていたという話が印象的でした。
高校生になっても頬にキスをしていたという話には、なんとも言えない温かさを感じます。
きっと、あの飾らない人柄は、こうした家庭の中で自然に育まれていったんじゃないかと思います。
自分自身も兄がいて、子どもの頃はよく喧嘩もしましたが、思い返せば大切にされていたなと感じる場面がいくつもあります。
丸山さんの家族への想いを知ると、ますます親しみがわいてしまいました。
まとめ
丸山隆平さんの学歴を振り返ると、華やかな芸能活動の裏にはたくさんの葛藤や試練があったことがよくわかります。
中学1年でジャニーズ入りしてもすぐに活躍できたわけではなく、高校時代には仕事がほとんどないという状況も経験しました。
それでも地道に努力を続けたことで、関ジャニ∞という大きな舞台へとつながっていったわけです。
今、バラエティやドラマで見せてくれる丸山さんのあの自然体な笑顔には、そうした過去がちゃんとにじみ出ている気がしてなりません。
「出身高校はどこだろう?」という単純な疑問から見えてくる人生の背景。
こうした情報を通じて、テレビの向こう側の人たちがぐっと身近に感じられるのが、個人的にはとても好きなところです。
そしてまた、頑張っていれば報われることもあるんだと教えてくれるような、そんな学歴とエピソードでした。
今後の活躍にもますます期待してしまいますね。
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