独特の視点と赤羽愛で知られる漫画家・清野とおるさん。
テレビ出演や結婚報道などでも話題になりましたが、もともとはどんな学生時代を過ごし、どのようにして漫画家としての道を切り開いてきたのでしょうか。
今回は、そんな清野とおるさんの学歴や経歴、プロフィールに迫っていきます。
清野とおるのプロフィールと代表作
まずは基本的なプロフィールからご紹介していきます。
清野とおるさんは1980年3月24日生まれで、東京都板橋区の出身です。
身長や体重といった細かな情報は非公開ですが、血液型はO型と公表されています。
ペンネームは「清野とおる」ですが、本名は「清野通」だそうです。
漫画家としてデビューしたのは1997年。
高校3年生のときに講談社「ヤングマガジン」の新人賞に入賞したことがきっかけです。
ただ、本人いわく「賞金目当てで送った」と話していたように、当時から本格的な覚悟があったわけではなかったようです。
また、2019年にはタレントの壇蜜さんと結婚を発表し、公私ともに注目を集める存在となりました。
代表作
代表作として有名なのが『東京都北区赤羽』。
この作品は実際に清野さんが暮らしていた赤羽の街を舞台にしたエッセイ風の漫画で、地元住民とのユニークなやり取りや、不思議な人物たちとの出会いが描かれています。
個人的にはこの作品を読んだとき、「日常の中にこんなにも奇妙で面白いことがあるのか」と驚いた記憶があります。
今では赤羽=清野とおるというイメージを持つ人も多いのではないでしょうか。
清野とおるの学歴や経歴!
清野とおるさんの学歴や経歴について紹介します。
小学時代
清野とおるさんの出身小学校は、東京都板橋区にある公立の「志村第四小学校」です。
意外なことに、子どもの頃はけっこう活発な性格だったそうで、友達もたくさんいたそうです。
でも、一方で「迷子になると死ぬ」と本気で思い込んでいたらしく、自宅の周辺数百メートル圏内から外に出ることはほとんどなかったとのこと。
子どもの世界は本当に独特ですよね。
この頃、漫画家である父の兄(叔父)が同居していたこともあって、自然と漫画に興味を持ち始めたようです。
叔父さんからは集中線の描き方や、道具の使い方まで教えてもらっていたそうで、後にプロとなるための素地がここでできていたのかもしれません。
10円玉を定規の下に貼って線を引くとインクがにじまない、なんてテクニックは当時の自分に教えてあげたいくらいです。
中学時代
中学校は、同じく地元の「志村第二中学校」に進学しています。
この頃はまったく勉強に興味がなく、「本能のままに生きていた」とインタビューでも語っています。
その象徴とも言えるのが、給食のヨーグルトを神と崇めた「ヨーグルト教」を創設したエピソード。
本人は楽しんでいたようですが、さすがに先生に見つかってしまい、活動はあえなく終了したそうです。
この話を聞いたとき、自分も中学時代に意味不明な遊びをしていたことを思い出して、なんだか共感してしまいました。
高校時代
高校は、私立の「成立高校」に進学。
現在は「成立学園高校」として男女共学になっていますが、当時は男子校でした。
進学の理由については「流されるまま赤羽にある男子校に入った」と語っていて、学問への意欲というよりは地元志向が強かった印象です。
ただ、進学してから「もっと勉強しておけばよかった」と初めて後悔したそうです。
この気づきが何かの転機になったのかもしれません。
高校時代から投稿活動を始めていて、3年生のときには講談社の新人賞に入賞。
そのまま『ヤングマガジン』で漫画家デビューを果たしました。
デビュー作『猿』は、猿が転校してくるというシュールな設定の作品だったらしく、なかなか攻めた内容だったようです。
それでもその後はネームが通らずに苦戦し、『ヤングジャンプ』に活躍の場を移します。
またこの頃、スーパーのバイト先で出会った主婦を通じて人気漫画家・押切蓮介さんと知り合い、親交を深めています。
このエピソードもすごく人間くさくて好きです。
人との縁って、どこでつながるか本当にわかりません。
大学時代
高校卒業後は大学に進学。
校名は公表されていませんが、「猶予期間が欲しかった」と語っているように、就職の準備として通っていた印象が強いです。
大学では友達もおらず、サークルやゼミにも属さなかったと話していますが、そのぶん創作に集中していたようで、『青春ヒヒヒ』という連載が大学3年生のときに決まります。
ところが、連載は半年で終了。
いきなり無職となってしまい、実家を出て赤羽で一人暮らしを始めたとのことです。
清野とおるのその後と現在の活動
大学卒業後も漫画家として活動を続けていた清野さんですが、なかなか安定した連載には恵まれず、試行錯誤を重ねていたようです。
そんな中で生まれたのが、自身の生活圏である赤羽を題材にした漫画『東京都北区赤羽』。
これがまさに清野とおるワールド全開で、多くの読者の心をつかみました。
個人的には、赤羽にまったく縁がなくてもこの作品には引き込まれる魅力があると感じます。
どこか懐かしいのに異世界感もあり、そして登場する人たちがどこか愛おしいんですよね。
今ではテレビ出演やコラボ企画など、活動の幅も広がっていますが、根底にはいつも「観察力」と「街への愛」があるように思います。
ちなみに、赤羽で一人暮らしを始めてからのエピソードもとにかく面白くて、日々の中で起こるちょっとした異変をユーモラスに切り取るセンスが抜群です。
エッセイ風漫画に興味がある人には本当におすすめです。
まとめ
清野とおるさんの学歴や経歴を振り返ると、決して順風満帆な道のりではなかったことがよくわかります。
子どものころは迷子になるのが怖くて家の近くから出られなかったり、中学時代にはヨーグルト教を創設するなど、なかなかに型破り。
高校では雑誌に漫画を投稿しはじめ、大学在学中には連載デビューという流れには、泥臭い努力と独特の感性がにじんでいます。
「青春ヒヒヒ」が終わってしまったあとも、自分の居場所を探しながら赤羽に根を張り、やがて代表作『東京都北区赤羽』を生み出していく姿は、どこか人間らしさと温かさを感じさせてくれます。
清野さんの漫画には、誰もがどこかに持っている「ちょっとズレた部分」や「報われなさ」へのまなざしがあり、だからこそ多くの人が共感するのかもしれません。
学歴や肩書きにとらわれず、自分なりの道を歩んできたからこそ描ける世界が、確かにそこにあると感じました。
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